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慎み深い考え方

 

 人と人とのコミュニケーションで難しいのは、自分の思いと人の思いが異なる時である。レストランやたくさんの人が見ている中で熱心に化粧をしている人は、周りの人がそのことをどのように感じているかにおそらく関心がないのである。私もそうなのだが、人間は先祖アダムとエバが禁断の木の実を食べて以来、自分が善悪の判断の中心であり、限りなく自己中心的な存在なのである。他の人があることをするのに長い時間がかかると、あいつはのろいと言い、自分の場合は慎重だからと言う。他の人が言われもしないことを勝手にすると出しゃばりだと言い、自分の場合は積極的だと言う。他の人が意見を強く主張すると頑固だと言い、自分の場合はしっかりしていると言う。他の人が少しエチケットを破ると礼儀知らずだと言い、自分の場合は個性的だと言う。他の人が上役の気に入るようなことをするとゴマスリだと言い、自分の場合は協力的だと言う。‥・と言った具合である。従って、:私たちは自分がそのような者だということをよくわきまえて、相手との立場の違いを思いやる者とならなければならない。私たちは人を見る時、一人一人を神様がご自分のかたちに造られた尊い存在として見、主にある兄弟姉妹を見る時、キリストのうちにあって新しく造られた神の家族として見なければならない。また、キリストの体としてお互いになくてはならない存在(弱く見られる器官ほど)であることを知らねばならない。

 

「だれでも、思うべき限度を越えて、思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3b)

 

「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊厳をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ12:10)

 (2014年9月14日)

 

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