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甘夏みかんとあかし

 

 昔、夏みかんはとても酸っぱかった。私はよく砂糖をまぶして食べたのを覚えている。ところで、今、日本中で食べられている甘夏みかんは元々たった一本の夏みかんの変種が元木となってそれを増やしたのだと言う。(その元木が萩にあるとやら)甘夏みかんそのものがおいしかったので、それが拡がっていったのだが、イエス様の福音も同じようなものだと思う。福音そのものが本当にすばらしいので、今、世界中に拡まっているのである。従って、あかしは「甘夏みかんはおいしいよ」と事実を伝えるように「イエス様を信じたら、とてもすばらしかったよ」「イエス様のみことばに従ったら、本当にすばらしいことをして下さったよ」とそのまま伝えることではないだろうか。

 以前、第二のふるさとと決めて東京から山口市の平川に一人暮らしをしておられたガントレット先生と長門峡の人たちを一軒一軒訪問して回ったことがあった。先生がまだ若かった時、お父さんと暮らしておられた所である。みんな大歓迎してくれたのだが、一人、崖の上で暮らしておられた初老のKさんが薪を割っておられた所を訪問した時、声をかけても何も返事をされなかった。こういう人もいるんだと思って、そっと正面にまわってみると、なんと泣いておられた。ずっと以前、聖書き渡して話をされたガントレット先生の声を覚えておられたのである。彼は泣きながら、そのことを話され、聖書をそれからずっと読んでいったが、そんな神様がおられると思っていた」とイエス様を信じたあかしをされた。彼はあとで、山を降りてきて今のインマヌエル教会で洗礼を受ばた。福音そのものがすばらしいのである。しかし、主はそのあかしをする人をほめてくださる。   
                                                                  
  「良いことの知らせを伝える人々の足はなんとりっぱでしょう。」(ローマ10:15b)

 

 (2014年8月31日)

 

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